
非公式なキャットショーは1598年、早くも郡部共進会の行事として行われた記録がありますが、公式な猫愛好会としてはイングランドのHarrison F.Wein による提案が最初のものです。
最初の公式なショーは、1871年7月13日、イングランドのクリスタルパレスにおいて開催されました。
Mr.Weinは品種としての「ショートヘアー」の熱烈なファンでした。彼もまた、ワーキング・キャットとしての質の高さを賞賛し、健康的であること、賢いこと、そしてハンティング本能を備えていることを望みました。
さらにブリーダーとして、その猫達の肉体的美しさを増強し、不滅なものにする努力を惜しみませんでした。
アレキサンドリアとバーミンガムにおいて、1873年には、2つのショーが開催されました。また1875年にはEdinburgh後援によるショーが開催されました。
ナショナル・キャットクラブ(1887年開設)によって、1936年のそのクラブ解散までの間、毎年クリスタルパレスにおいてショーが開催されました。
またこのクラブにおいて1890年から最初の登録制度が作られました。
クリスタルパレスにおいて1896年によって開催されたのが、最初のチャンピオンシップ・キャットショー(ナショナルキャットクラブ主催)でした。
その中で、特に目を引く模様と重量感あふれるシルバータビー(クラシック)のCH.Jimmyが注目を集めました。
彼の体重は2,000ポンドもあったそうです。その当時、ショーキャットの価値が1ポンドが5ドルといわれていた時代でしたからEng.CH.Jimmyは10,000ドルの価値があったことになります。 当時、著名人であったMrs.SugdenのEng.CH.King of the Fancy out of Tibbeeを父親に持つMrs.Herringのすばらしいシルバータビー達は、ほとんど現在のASHに近い外観を持っていました。 残念ながら、私たちは写真からしかその片鱗をうかがうことはできませんが、Eng.CH.Jimmyは理想のASHに近かったと考えられています。 |
アメリカで最初の正式なキャットショー「第1回ナショナル・キャットショー」が1895年、Mrs.James T.Hydeによってマジソンスクエアガーデンにて開催されました
。そのショーカタログにおいて、Buchanan夫妻の7才の去勢猫が1,000ドルにて販売リストに掲載されています。
このショーには46頭の(アメリカン)ショートヘアー・アダルトと25頭の(アメリカン)ショートヘアー・キツンが出陳されました。その出陳頭数はサイアミーズやパージャンをはるかに凌ぐものでした。
翌1896年に開催されたマジソンスクエアガーデンでの第2回記念キャットショーにおいては、35頭のショートヘアーが出陳されました。
3才のブラウンタビーのオス、Nicodemusが2,500ドルで販売リストに載っています。また同じショーで、2才と3才の去勢されたパーティーカラーの2頭は両方とも1,000ドルで販売リストに載っていました。
最初のCFAにおける(アメリカン)ショートヘアーの登録はCH.Belle of Bradfordでした。
オレンジタビー(現在のレッドタビー)のオスとして、1900年6月1日にイングランドに生まれました。Bell はBelle of Bradfordとしてイギリスの血統台帳に記載されています。
彼の父親はCH.Bradford Perfection Out of Ballochmyle No Foolでした。
彼はMr.Kuhnelによってブリードされ、12世紀初頭当時、高名な後援者であったMiss.Jane Cathcartによって所有されました。
彼の9年間にわたるアメリカでのショー戦績の中で、他のオレンジタビーに負けたのはたった1度だけでした。
そして、重大なニュースとしてとらえられ、生後9カ月のオスMrs.J.C.Mitchelson's Triumphant(愛称:Connie)の写真、血統、そして彼の勝利が1906年4月号のキャットジャーナルの105頁に掲載されました。
残念なことにConnieはその後のショーでウイルス感染を起こし、生後10カ月で亡くなりましたので、現在、彼の子孫は残っていません。
この不幸な出来事のあと、Mrs.Mitchelsonは彼女のブリーディング・プログラムのためにConnie の兄弟であるBillyをMrs.La Salleから購入しました。
最初の(アメリカン)ショートヘアーのCFAチャンピオンは、Mrs.Mitchelsonが所有したシルバータビーのメスThe Buzzing Silverでした。
彼女は年間総合4位のタイトルを獲得しました。また同じ年にMiss.Cathcartが所有する3頭の猫達、 Belle of Bradford(8位)Buster Brown(9位)PrissyII(11位)もチャンピオンとなりました。
ブラックショートヘアー・キャッテリーはフランスのMiss.CathcartによるFrenchPoodleCatteryが最初です。
彼女は近所の野良猫を友達として家に連れ帰り、その猫にBlack(Blacky)と名付けました。その後、彼女はアメリカに渡り、キャッテリー名をBlack Shorthair Catteryと名付け、後にThe Black Shorthaired Catteryとして有名になりました。
彼女はニュージャージー州オラデルのオラデルストック農場に住み、ショートヘアーについての研究を重ね、多くのカラー種(トップクラス)を取り入れ、注意深く選択的に交配して行きました。
そしてMiss.CathcartのホワイトのオスCH.Komboは1909年のハートワード・ショーにおいて、ベストショートヘアーの栄冠を得ました。
さらにMiss.Cathcartのシルバータビーの1頭であるACA CH.Silver Stripes(英国へ輸出)は、1909年にロンドンにてベストメール・イン・ショー、ロックハーベンのロッチェスターにおいてはベストショートヘアーの栄冠を得ました。
その後も彼は数々のショーでベストショートヘアーを受賞しました。
当時、ベストショートヘアーは事実上のベスト・オブ・ブリードに該当しました。そしてこの時期、いかなる他の品種や(サイアミーズ、マンクス、ロシアンブルー)他の(アメリカン)ショートヘアーも受賞することは出来ませんでした。
またMiss.Cathcart が寵愛していたシルバータビーのメスCH.Dame Fortune IIは1909年のピッツバーグにてベストショートヘアー、ニューヨークにてベストショートヘアー、1910年のコロンバスにてベストショートヘアー、シカゴのベレスフォードにおいてベストショートヘアーを獲得しました。
時が過ぎ、1920年代になると(アメリカン)ショートヘアーのブリーダーの数は次第に減少して行きました。
しかし、C.P.Niederritter-Smithによってブラックは特別に守られました。
それと同時期にカナダのモントリオールでMrs.H.J.Loftus-Priceによってクラシックシルバータビーを作る努力がなされました。
このLoftus-Price の猫達は、その後のMrs.Grace Hinchcliffの初期のCobourgラインの基礎となりました。